僕、思うんすよ。
辛く息苦しい人生ってヤ、ですよね。
どうせ生きるなら、楽しい、満足行く人生を生きたいじゃないですか。
でも僕の目には、世の中のほとんどの人が、嫌々生きてるように見えます。
例えばいい例が満員電車の中の、あの死んだ魚の目をしたサラリーマンたちの図。
あんなの、ノンストップ超特急地獄行きの図、って言われてもなんら間違いじゃない。
終点は閻魔様が口を開けて待ってるやつですよ。
もちろん、一定数幸せな人生を生きている勝ち組みたいな人はいるのはわかるんです。
じゃあそんな人たちに自分自身なれるかっていったら、まぁ無理じゃないすか。
ほとんどの人が、社会を敵に回し、上司を敵に回し、なんなら自分の身の回りモノも全部を敵に回し、回しに回して、回れ回れメリーゴーランッ(昭和生まれの発言)な生き方がせいぜいですよね。
でももうそういうのすらしんどくないですかね。
自分に無理をして、言い訳をして、そんな生き方を灰になるまで続けてなんて、そんなのなんかおかしいと思うんです。
おかしいったらおかしいんです(小学生レベルの発言
ちょっと想像してみてください。
僕たちの遥か祖先が生きた、狩猟民族だった時代、食糧やら寒さやら縄張り争いやらそれはもう色々な問題が立ちはだかっていたと思います。
それこそ身の危険だらけだった時代なわけです。
けれど、その時代は人は確かに生きていた、と言える気がしませんか。
めちゃんこしんどそうだけど、必死に生きていたと見えませんかね。
僕には、どうにもそう見えてしまうんです。
や、もう一度言いますけど、そらもう身の危険だらけだったんでしょうけど、なんなら今日を生きることにすら必死だったんでしょうけど。
それでも、自分たちで考え、自分たちが生きるためにどうするか決めれていたんじゃないかと、そういいう時代だったんだと思うんですよね。
そんな時代について思いを馳せていると、僕はふと感じるんです。
この生きにくいであろう近代社会の中だったとしても、社会のルールに則ってさえいれば、自由に生きたところで文句はないはず。
自由に生きるために失うものはたくさんあるかもしれませんけど、冷静に考えてみてください。
ぶっちゃけ、その失うモノって、よく考えたら大したものじゃね?ですよ。
むしろ、それらをたくさん持っていることで、自分の足引っ張られまくっていませんかね?
もうね、やばいぐらいに引っ張られてると思うんです。
むしろ日常的に引っ張り合いを行って辟易してるレベル。
そうです、毎日が綱引き大会ですよ!
楽しくない方だけどっ!
そんな足の引っ張り合いをしてるぐらいなら、そのすべてを捨ててしまって、身軽になった状態で人生生きたほうが、よくないすかね。
少なくとも、僕はその方が良いと思っちゃいました。
結果として、社会人失格の烙印を絶賛押されまくってますが。
けれど、それがどうというのです。
少なくとも狩猟時代の、俺、今日死ぬかもしれないな…という毎日フラグ立まくりの状況よりは、ずっと安心安全で楽な時代に僕らは生きてます。
誰かにどう見られているかなんて知ったことではありません。
大切なのは、自分がどう生きるか、じゃないすか。
それを、ブログを通じて表現していければなーっていうのと、将来ボケたときに見返したいあの時の自分の記録って意味もあって、ゆるゆると記事を書いていきたいと思っています。
メモ
注)一応僕の専門分野は投資と旅なんですけど、ぶっちゃけ方向性はぼやけてます!
なんかその日暮らしでテーマを決めてだらだら思ったことを書いていくスタイルになると思いますので、適当にお付き合いいただけたら幸いです。
そんじゃ本編でまたお会いしましょ^^
そうそう、実家を出る時に偉大なる祖母から言われた言葉で締めたいと思います。
「人様に迷惑はかけるな」
どんな名言よりも、これが一番重い。